2023.11.11 唱歌「鎌倉」の歌詞を歩く C

山行名  唱歌「鎌倉」の歌詞を歩く C

山行日  2023年11月11日(土)

リーダー 藤田幸子

参加者  21名(男性3名 女性18名)

コース  七里ヶ浜駅-稲村ヶ崎-極楽寺坂-成就院(由比ヶ浜を眺める)-長谷観音-大仏-鎌倉駅=鎌倉宮-永福寺跡(昼食)-頼朝墓-八幡宮-建長寺-円覚寺-北鎌倉駅

歩行時間 5.5時間(休憩・昼食時間含む)

参 照  唱歌『鎌倉』
明治43年(1910年)「尋常小学読本唱歌」 作詞:芳賀矢一(はが やいち 国文学者)、作曲:不詳
1、七里ヶ浜(しちりがはま)の磯づたい  稲村ヶ崎名将(めいしょう)の  剣(つるぎ)投ぜし古戦場
2、極楽寺坂(ごくらくじざか)越え行けば  長谷観音の堂近く  露坐(ろざ)の大仏おわします
3、由比(ゆい)の浜辺を右に見て  雪の下村(したむら)過ぎ行けば  八幡宮の御社(おんやしろ)
4、上(のぼ)るや石のきざはしの  左に高き大銀杏(おおいちょう)  問わばや遠き世々(よよ)の跡
5、若宮堂(わかみやどう)の舞の袖  しずのおだまきくりかえし  返せし人をしのびつつ
6、鎌倉宮(かまくらぐう)にもうでては 尽きせぬ親王(みこ)のみうらみに 悲憤(ひふん)の涙わきぬべし
7、歴史は長き七百年(しちひゃくねん) 興亡すべて夢に似て  英雄墓(えいゆうはか)は苔(こけ)むしぬ
8、建長円覚(けんちょう えんがく)古寺(ふるでら)の  山門高き松風に 昔の音(おと)やこもるらん

コメント 
このタイトルを山行手帖で見つけた時、懐かしいメロディーが思わず口を伝って出て、記憶の底に眠っていた歌詞を歩いてみたい!と私は思った。
1番『七里ヶ浜の磯伝い稲村ヶ崎名将の~』は、鎌倉幕府を事実上滅亡に追い込んだ新田義貞にまつわる伝説の場所を唄っている。歴史を刻む浜は稲村ヶ崎公園となり、新田義貞徒渉伝説地の碑の他に、ボート遭難の慰霊碑、ローベルト・コッホの碑など、中世から現代までの歴史がぎっしり詰まっていた。
海岸から住宅地に入り、江ノ電の極楽寺駅へ。江ノ電は、極楽洞と呼ばれる、崖を掘りレンガを貼ったトンネルを開設当時のままで使って走り抜けている。極楽寺坂切通の上にある成就院に着くと、由比ケ浜を一望できる素敵な景色に出会った。坂道を下り、江ノ電の踏切を渡ると御霊神社。近くの権五郎力餅で有名な創業300年の力餅家で、Wサブリーダーがさっと力餅を買い、昼食時に配って頂いた。感謝!
続く長谷寺の境内は多くの外国人で賑わっていた。外から立派なお庭の様子を目に焼き付け、鎌倉市の景観重要建築物指定の古い旅館や商店を眺めながら、路地を歩いて高徳院へ向かう。塀の隙間から大仏様を拝み、裏道から大仏様の背中も眺めて、一路、鎌倉駅まで歩く。ここまでが2番『極楽寺坂超え行けば、長谷観音の堂近く、露坐の大仏おわします』と3番『由比の浜辺を右に見て、雪ノ下村 (現在の地名は雪ノ下)過ぎ行けば、八幡宮の御社』。鎌倉宮へは、歩行距離調整のためバスを利用。
6番に飛んで、『鎌倉宮にもうでては~♪』は、後醍醐天皇の皇子で建武の中興の功労者、護良親王を唄っている。若くして命を奪われた親王の遺志を後世に伝えるため明治天皇が創建した社。天皇が政権を取り戻した明治と思いを重ねたのだろう。この後、鎌倉宮の奥にある永福寺跡の公園で昼食。
午後は、能舞台のある旧村上家の屋敷裏から北条義時の法華堂跡や三浦氏一族が供養されているやぐらを巡り、頼朝の墓へ。ここは7番『歴史は長き七百年、興亡すべて夢に似て、英雄墓は苔むしぬ』と唄われる頼朝の法華堂のあった場所。
白幡神社や鎌倉幕府の政務の中枢であったことを示す石碑を経て、鶴岡八幡宮へ。3代将軍実朝が甥の公暁に暗殺されたのは、八幡宮の石段横の大銀杏のそば。享年28。4番『のぼるや石のきざはしの~』は、この暗殺事件を唄う。大銀杏は近年の強風で倒れたが、今はそこから若木が育ち見る人を和ませている。
5番は、義経の側室静御前が、頼朝と政子の前で義経を想いながら白拍子の舞を舞ったという話。義経は兄頼朝に奥州平泉まで追い詰められ最後は切腹、静御前との子も由比ヶ浜に沈められ子孫断絶、残虐無慈悲、人情など毛頭ない時代だ。
最終章8番『建長円覚古寺の、山門高き松風に、昔の音やこもるらん』は、禅宗(臨済宗)鎌倉五山一位の建長寺と二位円覚寺を唄う。政治の中心を担う武士は、鎌倉で新しい時代を模索し、血なまぐさい権力闘争の連続であったが、七五調の歌詞は、古寺が、時代を駆け抜けた人々を見つめ続けてきたことに思いを馳せている。鎌倉の名所旧跡を一巡した楽しい一日であった。

投稿者 中澤正子

写真撮影者 中澤正子 藤田幸子

① 七里ヶ浜の磯づたい
② 稲村ヶ崎

 

③ 極楽洞
④ 成就院から眺める由比ヶ浜
⑤ 長谷寺
⑦ 建長寺・円覚寺
⑥ 頼朝墓へ

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