2023.11.14 唱歌「鎌倉」の歌詞を歩く C 2回目
山行名 唱歌「鎌倉」の歌詞を歩く C 2回目
山行日 2023年11月14日(火)
リーダー 藤田幸子
参加者 19名(男性6名 女性13名 体験山行2名含む)
コース 七里ヶ浜駅-稲村ヶ崎-極楽寺坂-成就院(由比ヶ浜を眺める)-長谷観音-大仏-鎌倉駅=鎌倉宮-永福寺跡(昼食)-頼朝墓-八幡宮-建長寺-円覚寺-北鎌倉駅
歩行時間 5.5時間(休憩・昼食時間含む)
参 照 唱歌『鎌倉』
明治43年(1910年)「尋常小学読本唱歌」 作詞:芳賀矢一(はが やいち 国文学者)、作曲:不詳
1、七里ヶ浜の磯づたい 稲村ヶ崎名将の 剣投ぜし古戦場
2、極楽寺坂越え行けば 長谷観音の堂近く 露坐の大仏おわします
3、由比の浜辺を右に見て 雪の下村過ぎ行けば 八幡宮の御社
4、上るや石のきざはしの 左に高き大銀杏 問わばや遠き世々の跡
5、若宮堂の舞の袖 しずのおだまきくりかえし 返せし人をしのびつつ
6、鎌倉宮にもうでては 尽きせぬ親王のみうらみに 悲憤の涙わきぬべし
7、歴史は長き七百年 興亡すべて夢に似て 英雄墓は苔むしぬ
8、建長円覚古寺の 山門高き松風に 昔の音やこもるらん
コメント
「鎌倉」はOMC山行の一つのジャンルですが、今日はそれの総集編みたいな企画です。レトロな江ノ電で集合地の七里ヶ浜駅へ。総勢19名。快晴、目の前の青い海、江の島はすぐ近く、その先には本格的に白くなった富士山。暖かいと皆、大喜び。浜でリーダーが、スマホのユーチューブをマイクで流して、唱歌「鎌倉」を聞きながら、1番から8番まで唄い、説明を聞き、基礎知識を学んで出発。
まず「七里ヶ浜の磯づたい」に稲村ヶ崎へ。新田義貞が剣を海に投じたら潮が引き、一気に鎌倉に攻め入ったとの謂れ。義貞が引き潮の時間を知っていただけだろう、などと言うのは野暮。そこから内陸へ、リーダーお得意の路地歩き。観光客は絶対に入らない路地道は、由緒ありそうな家、花を一杯咲かせた家、小さな寺社など、さすが古都という景観にぶつかり楽しくなります。何処へ出るかと思ったら、突然、江ノ電極楽寺駅前の通りに出てビックリ。そこから「極楽寺坂を越え行き」ますが、道に平行した高台の成就院から「由比の浜辺」を遠望しました。
御霊神社を経て「長谷観音の堂」、お洒落な喫茶店、甘味店などの並ぶ人気スポットを「露座の大仏」へ。広大な境内を外から廻り、裏側の塀から大仏様の御顔の後ろを垣間見ました。自動車道を鎌倉駅へ。全コース歩くと距離が長くなり過ぎるので、駅からバスで鎌倉宮へ行きました。後半、最初の鎌倉宮は後醍醐天皇の御子、大塔宮の悲劇の場。その北の近年、発掘、復元された永福寺跡広場でトンビに注意しながらの昼食。誰も襲われませんでした。路地歩きで荏柄天神を右に見て、史跡法華堂跡へ。
昨年の大河ドラマの主人公、北条義時の墳墓堂遺構が表示されていて、ドラマで活躍した義時の盟友、三浦義村、その義村の死後、北条氏にとって邪魔者となった三浦一族はここで北条氏に滅ぼされたとのこと。次いで源頼朝墓へ急な石段を往復。今日、一番の難所?「英雄墓は苔むしぬ」は頼朝の墓の事ですが、頼朝は墓の中から息子や孫が北条氏の謀略で死んでいくのをどんな思いで見ていたことか。その北条氏も「祇園山ハイク」で行った、ここから南の東勝寺で女性を含めた800余名が亡くなり滅んでいます。まさに「興亡すべて夢に似て」ですね。
名前の通り美しい「雪ノ下」の細道を鶴岡八幡宮へ。(バスを使った関係でここは歌と順序が違います。歌は八幡宮を見てから鎌倉宮です)八幡宮石段下の華麗な舞殿は静御前の時代にはまだ無く、静御前は横の若宮殿の回廊で「しずのおだまき」を舞ったそうです。石段左の大銀杏はもうありません。「歴史は永し700年」、それに耐えてきた銀杏が平成になって強風で倒れてしまったのは何とも残念ですね。
北鎌倉の「建長、円覚、古寺へ」。鎌倉寺院の中でも桁違いの大伽藍が山門から垣間見えました。七里ヶ浜から円覚寺まで、私の万歩計では13.5キロの道を皆さん、元気で歩き切りました。改めて鎌倉の奥行の深さを実感しました。素晴らしい企画をして頂いたリーダー、そして頑張った皆さん、ありがとうございました。
投稿者 川井峯雄
写真撮影者 川井峯雄 藤田幸子
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