2024.2.3 鎌倉のお稲荷さん巡り C

山行名  鎌倉のお稲荷さん巡り C

山行日  2024年2月3日(土)

リーダー 藤田幸子

参加者  28名 男性6名(内体験1名) 女性22名(内体験1名)

コース  鎌倉駅―佐助稲荷神社―(銭洗弁財天)―合鎚稲荷社―(化粧坂)―智岸寺稲荷―泉谷稲荷神社―紅葉稲荷社―志一稲荷社―丸山稲荷社―(八幡宮)―(和風レストラン静久)―築山稲荷社―大蔵稲荷社―鎌足稲荷社(浄妙寺参詣)―大江稲荷社―十二所バス停=鎌倉駅又は金沢八景駅

歩行時間 5.5時間(休憩・昼食時間含む)

コメント 
節分の土曜日、鎌倉に数あるお稲荷さんの内、11社を訪ね歩いた。鎌倉駅西口時計台広場横の地図にて、リーダーによる行程のレクチャーを受けてから出発した。駅から北西の扇ガ谷、佐助の住宅街は、竹穂垣に囲まれた古民家の中に近年のモダンな住宅も混在するが、鎌倉市の風致地区や景観法に守られた閑静な街並みが続き、大正5年築の洋館:古我邸もレストランとして現役である。鎌倉歴史文化交流館を過ぎ佐助隧道を抜けると、やがて佐助稲荷神社の連続する赤い鳥居が見えてくる。佐助稲荷神社は「出世稲荷」とも呼ばれ、拝殿裏や本殿に安置されたたくさんの白い狐様が圧巻である。稲の穂が狐の尻尾に似ているため、豊作を祈願して狐を祭るようになり、神様のお使いである透明の狐を白い狐で表現していると言われる。今後も増える狐様の居場所に備えてか、境内の裏手は造成工事中であった。
旧参道から銭洗弁財天を抜けて葛原岡神社まで来ると、眼下に市街地が広がり、山に囲まれた鎌倉の地形を再認識する。相槌稲荷社は葛原岡神社の境内にある。3日はちょうど日野俊基(討幕を企てて斬首された後醍醐天皇の忠臣)の月命日で、祭事を行う神主さんの姿やお供え物、林の中に早咲きの桜も見ることができた。
源氏山公園から市街地方面へ下る化粧坂(けわいざか)は、討ち取った平家の大将の首をここで化粧した?との由来もある険しい切通しである。岩肌が滑りやすい坂を慎重に下りて、横須賀線沿いの車道へ出て、岩を削ったやぐらに並ぶ、阿仏尼墓と英勝寺が管理する智岸寺稲荷をお詣りする。阿仏尼は藤原為家の側室で、「十六夜日記」(いざよいにっき)の作者である。夫の死後、領地相続の件で鎌倉幕府に訴えるため60歳近くの年齢で京都から鎌倉へやってきた心境はいかほどであったか。
ガード下を抜け、浄光明寺の塀伝いの細い階段を上がると泉ヶ谷稲荷社(鎮守稲荷大明神)があった。川喜多映画記念館の庭園で小休止した後、鶴岡八幡宮の西側の角にある紅葉稲荷社へ。ここは干物屋さんの店先に気を取られている間に見過ごしてしまい、後でサブリーダーに教えていただいた。初午祭以外は橋が無く、お詣りできないお稲荷さんとのことである。志一稲荷社は鎌倉街道の西側の石段を登ったところにある。「太平記」にも登場する京都仁和寺の志一上人が建立したと伝わる。さらに鎌倉街道を北上し、青梅聖天社の階段下まで足を延ばす。人影のない中、咲き始めた梅と水仙の花、道祖神の姿にしばし和んだ。
丸山稲荷社を経て、鶴岡八幡宮の本殿に上がると、舞殿は節分祭(豆まき)の設営がされ、福豆拾いの整理券配布のための長蛇の列ができており、迷子になりそうな混み合う中を、昼食予約のお店へと急いだ。ランチ後は正一位稲荷社、大蔵稲荷社、鎌足稲荷神社、大江稲荷社と、バス通りを避けた住宅街・山道・階段の織り交ざるコースを楽しく進む。浄妙寺では、小説「極楽征夷大将軍」を読んだという方の解説を聞きながら足利直義公の墓も参拝し、境内で春の訪れを感じさせてくれる節分草の健気な姿に癒された。
歴史的建造物の多い鎌倉であってもお稲荷さんを巡る希少な機会であり、各々の逸話も興味深く、懸命に生き抜いた当時の人々に思いを馳せつつの充実の山行であった。できるだけ多く訪ねられるよう計画を工夫され、随所で丁寧に案内してくださったリーダー、サブリーダーに感謝申し上げます。

投稿者 浅見美穂

写真撮影者 水津まき子 浅見美穂 藤田幸子

① 佐助稲荷神社
② 葛原岡神社の桜

 

③ 青梅聖天社の梅
④ 浄妙寺
⑤ 足利直義公の墓
⑦ 大江稲荷社
⑥ セツブンソウ

「行ってきました」一覧表に戻る