2024. 3.17  ナコウ山 C

山行名  ナコウ山

山行日  3月17日(木)

リーダー 吉野 誠

参加者  16名

コース  宇佐美駅=比波預天神社ー石切場洞入りコースーナコウ山ー宇佐美トンネル上ー離山ー留田港ー宇佐美海岸=宇佐美駅

歩行時間 5時間(休憩含む)

コメント お天気は快晴、暖かい。伊東線の宇佐美駅から歩行開始。
 まずは比波預天(ひはよてん)神社に立ち寄り、静岡県指定天然記念物の「ホルトの木」にご挨拶。日本一の大きさを誇るホルトの木であるが、一部が枯死し最盛期の姿は留めていない。しかし、オリーブの葉に似た枝葉が春風に揺れる様は美しかった。
 さて、本日の課題は江戸城石垣を築いた石切場跡に残された「刻印石」を探しながら歩くこと。ナコウ山に登る竹林の道は荒れてはいるが道ははっきりしていて歩きやすい。登るにつれ、枯葉に埋もれて、石切場から切り出された石が点在していた。そして見つけた!刻印。刻印とは江戸城築城のために石を切り出す石切場に携わる大名家が、自家の紋を石に刻んだもの。ナコウ山に向かう道では矢羽根の紋を刻んだ石がいくつも見られた。矢羽根紋は毛利家の印とのこと。また、「羽柴越中守石切場」と刻まれた標石もあった。羽柴越中守とは細川忠興(妻は細川ガラシャ)のことである。ナコウ山山頂の看板にはナコウ山の名前の由来が記されていた。写真を撮ったので読んでほしい。ナコウ山は「泣こう山」であった。先人の汗と涙の悲しい歴史があったのだ。刻印石は次々見つかった。四角い囲みに三の文字(折敷に三、豊後国臼杵藩稲葉家)、丸に一の字は前田家または細川家、漢字の田の字みたいなのは細川家らしい。(帰宅後ネットで調べた情報)
いったいどれだけの大名が石切場に携わったことだろう。戦国の世が終わり、大名達は戰さの勝利ではなく、徳川に貢献することで恩恵を得る道を選んだのだ。
 離山(はなれやま)に続く尾根道は左右の崖下は海という切り立った地形で、海風が激しく吹き付ける中を歩く。離山の広場で昼食。ここにも刻印石やクサビ跡が残る石がひっそり遺されていた。
 下山ルートは急斜面でロープの連続。枯葉が滑って危険な箇所もあったが、皆な慣れた感じでするする下りていく。気がついたらもう車道に出ていた。すぐそこは留田の港、のどかな春の海岸を少し歩いて宇佐美駅に帰着した。
 その昔、伊豆で生まれた石が船に載せられはるばる江戸城へ、そしておそらく今も皇居の石垣のどこかに存在していることだろう。そして伊豆の山中に残された石は、今も鮮やかな刻印を残したまま、静かに歴史を物語っている。本日の山行はそんな歴史の足跡を感じる旅になった。

投 稿 者 キャサリン

写真撮影者 キャサリン   のり平

比波預天(ひはよてん)神社とホルトの木
江戸城石丁場遺跡碑と刻印石とクサビ跡
ナコウ山山頂に向けて
ナコウ山頂付近
ナコウ山の名前の由来
ナコウ山山頂にて
離山の下山は急斜面
宇佐美海岸(石を江戸まで運ぶ船着き場)を歩く

「行ってきました」一覧表に戻る