2024. 12.21 文京区の名坂と文豪旧跡・安田楠雄邸 D

山行名  文京区の名坂と文豪旧跡・安田楠雄邸    

山行日  12月21日(土)

リーダー 前田 正史

参加者  16名

歩行時間 4時間30分(休憩含む)

コメント 日暮里駅に集合の後、「鉄道オタクの聖地・下御隠伝跨線橋」から坂道探訪は始まった。
 並走鉄道路を見下ろすと西側に武蔵野台地東端の(「酔いどれクライマー永田東一郎」が登った)石垣が続いている。橋を西に戻って御殿坂を上り「夕焼けだんだん(階段)」を下り、昭和色濃い谷中銀座を抜けると不忍通り、文京区に入る。下町の谷中から大給坂を上り瀟洒な邸宅街千駄木へ。高台とその下の佇まいの違いは時代を経ても顕著である。
 大正8年に建てられ関東大震災も空襲被災も免れた「安田楠雄邸」が今日の一推し。開館を待ってガイドに案内を乞う。実業家藤田好三郎氏が調度と建築材の吟味に美意識を注ぎ、棟梁と職人がそれに技で応えて完成させた邸宅。欄間・床の間・彫ものの細工・洒脱な照明器具、それなのに竣工数年後に転居、ほぼ新築で購入し二代74年に亘り住まわれたのが財閥安田一族。実業界重鎮が凝りに凝って建てた邸宅を引き継いで住まいとして磨き込み、選び抜いた畳表は100年を経ても擦り切れず、カーテンも竣工時のままで公益寄贈された近代和風建築の粋、我ら庶民はただ感嘆の構図。
 森鴎外・夏目漱石・高村光太郎の旧居も坂の上である。元は大名屋敷の庭園であったという須藤公園で各自持参の昼食をとる。命名経緯は知らぬが「文京区」とは言い得て妙で、歴史的資産に恵まれている上に住民の理解もあるのか区や教育委員会がそれらを文化財として維持活用することで街の価値を高めている様に思う。一朝一夕に集積されない日本固有文化の厚み、安田楠雄邸を訪れて尚更その意を強くした。
 谷から尾根へと都会のチョイバリ-入り組んだ坂道を辿り一つ一つ丁寧に解説をしてくれる名リーダーの案内で、所謂谷根千観光ガイドにはない「♪ 知らない街を~歩いてみ~た」一日だった。

投 稿 者  後藤

写真撮影者 後藤・平山  

①安田邸応接間
②安田邸二階客間
③婚姻に当たり改装された台所
④安田邸から庭園

⑤須藤公園
⑥須藤公園にて 
⑦森鴎外記念館にて
⑧夏目漱石旧居跡の
吾輩は猫

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