2025.12.13 高尾山② C

山行名  高尾山②

山行日  12月23日 (火)

リーダー 吉野 誠

参加者  14名(女性8名、男性6名)

コース 
JR高尾駅 ⇒ 日影バス停 → P620m → 城山 → 一丁平 → 高尾山 → ケーブル駅 → 金比羅台園地 → 落合 → JR高尾駅

歩行時間 5時間 (休憩を含む)

コメント
登山者数世界一で、年間300万人の人々が登る高尾山。
先般、ネットニュースで、「富士山より遭難者が多発する高尾山が、下山できない人を続発させる‘危険な山’になった真相」と言うタイトルの記事が掲載されていた。
「遭難」と聞くと死亡事故や大規模な被害者が出る事故のイメージがあるが、実際は「疲れて歩けない」と言うもっとも軽い理由で、ハイカーや観光客からの救助要請が多くなっているそうだ。
特に高尾山では、2023年に133人、24年に131人の遭難があり、警察庁の毎年の遭難統計で、高尾山は、富士山、穂高連峰のはるかに上をいく多発状況であったそうだ。

その様な年末の高尾山に、ホームページ企画として2件の山行企画が掲載されており、2件とも全く同一のバリエーションコースを登る山行になっているのに疑問が湧き、事前にCLに尋ねた結果、「山行手帖の山行企画件数が少ないと考え、その穴埋めとして企画しました。」との回答を頂き納得。
早速、高尾山②の企画に申し込んで参加して来ました。

本日の朝は青空が広がりましたが、放射冷却現象で全国的に冷え込みが強まり、東京都心でも真冬の寒さとなったなか、JR高尾駅に参加者が集合。
平日で、小仏バス停行きの路線バスは、乗客が少ないのかなと思っていたところ、予想に反して、臨時便のバスが増発されるほどの長蛇の列の乗客数に驚きながら満席のバスで出発。

その後、高尾駅から10分ほどの日影バス停で下車後、日影林道の入口からCLの挨拶と注意事項を聞いて、同林道を少し歩いて、途中で日影沢に降りて渡渉後、本日のバリエーションコースによる山行が始まった。
高尾山と陣馬山に連なる奥高尾縦走路へは、東西南北にたくさんの一般的な登山コースがあるが、本日のコースは、登山地図でも破線で記載されており、「道標なしバリエーションルート」と注意書きのあるコース。
「深い藪コギがあるのかな?」と心配しながらの参加でしたが、実際に行ってみると、たくさんの登山者が歩いた明瞭な踏み跡の有る登山道で、大きな段差や倒木や悪路も無く、非常に整備されたコースであった。

コース途中には、明治時代に宮内省御料局が、皇室所有の「御料林」を測量・管理するために設置した「御料局三角点」や東京農工大の記念林標識もあり、良く管理された人口林が立ち並ぶ山域もあり、また、バリルートで平日なのに多数の登山者が歩いているのにも驚いた。

そして、お昼前には、小仏城山に到着後、早めの昼食を取って、いつもの奥高尾縦走路を歩いて高尾山の山頂経由、多くの観光客で賑わう薬王院を経て、金比羅台園地から都心の眺望を楽しんだ後に、JR高尾駅まで歩いて下山した。

最後に、年末のお忙しいなか、本企画を立て、歩き易い歩行速度で本山行をリードして頂いたCLや、安全登山に努めて頂いたSLの方々に、心より御礼と感謝を申し上げます。

【参加者感想】
「最初のバリエーションルートは、初めての道でしたが、尾根上の道で明るく歩きやすい道でした。
高尾山から金比羅神社までは、コンクリートで足が痛くなりましたが、金比羅神社から高尾駅までは山歩きでまた足が復活し、駅までなんとか歩けました。
高尾山の新たな魅力を発見しました。」

【ご参考】
明治政府は、旧藩領の林野を国有化して、その一部を皇室財産として「御料林」に指定。
御料林は、全国で最大360万ヘクタールに及ぶ広大な森林地帯だった為に、その境界画定と面積把握のために、近代的な三角測量を実施。
標石には、「御料局三角点」などの文字が刻まれている。 戦後、御料林は国有林に移管されその役目を終えた。
なお、国土地理院の一等~四等三角点とは別物で、陸軍の陸地測量部よりも早く山岳地帯での三角測量を開始したとされる。
高尾山周辺には、16基の御料局三角点が設置されていたという記録もある。
以  上

投 稿 者 K.W、K.T
写真撮影者 K.W

①高尾山②登山コース
②日影沢を渡渉してバリルートへ
③御料局三角点と城山の天狗
④富士山と小仏城山
⑤一丁平展望台と高尾山頂
⑥金比羅台からの下山道

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