2024.4.1 新田義貞鎌倉攻めの道 ② C

山行名  新田義貞鎌倉攻めの道 ② C

山行日  2024年4月1日(月)

リーダー 藤田幸子

参加者  14名 (男性5名 女性9名)

コース  湘南町屋駅―洲崎古戦場跡―大船工場前バス停=鎌倉山―富士見坂―聖福寺跡―十一人塚―稲村ヶ崎―極楽寺切通―滑川橋―九品寺―八雲神社―祇園山ハイキングコース―高時腹切りやぐら―宝戒寺―八幡宮―鎌倉駅

歩行時間 6時間 (休憩・昼食時間含む)

コメント 
江ノ電「鎌倉高校前駅」に山側から下り、鎌倉の海を一望する切通しの坂道は、新田義貞が鎌倉攻めの時にこの坂道を通ったので「新田坂」と名付けられ、いつの頃からか、「日坂」と呼ばれています。 

頼朝が鎌倉幕府を開いた約150年の後、第96代後醍醐天皇が倒幕を画策した時、源氏嫡流に最も近い一族である、鎌倉幕府の御家人・足利尊氏と新田義貞が、北条得宗家の執政体制に不満を持っていたため、天皇方に寝返り、1333年5月中の僅か半月の実戦で、5月22日に鎌倉幕府が滅亡した行程を辿ってみたいと思い、「新田義貞鎌倉攻めの道」①②の山行を、桜の時季に合わせて企画しました。

 あいにくの天候不順で、①の3/25は、催行の早朝に中止し、②の4/1も早朝の雨で、10名が参加を見合わせられましたが、幸いにも、12時から45分間だけの小雨ですみ、点在する古戦場跡や陣地跡や北条一族終焉の地を巡りました。古戦場跡地から、近年の造成工事の際に刀傷のある人骨が多数現れた事実や、東勝寺跡と腹切りやぐらには人骨は無く、自刃した北条高時始め北条一族、幕府の残党870余人の遺体は全て、新田軍と僧侶により釈迦堂の奥やぐらに埋葬され、初七日の銘がある五輪塔が、昭和40年代の宅地開発の際に見つかった事など、「伝承」を話しながら歩を進め、最後は、幕府滅亡の5月22日には、今なお慰霊の法要が行なわれる北条一族の屋敷跡に建つ宝戒寺に参詣して締めくくりました。

ソメイヨシノは、2分咲きでしたが、鎌倉市の木であるヤマザクラが、周りの山々で白や薄紅色に霞み、波打ち際で大きなワカメも収穫して、鎌倉らしい山行となりました。家を出る頃の雨にもめげず、遠路の鎌倉へお出かけ下さった皆様に感謝です。

追記:風光明媚な「日坂」の下にある江ノ電の踏切は、1990年代に人気を博したアニメ「スラムダンク」に登場し、今や、聖地巡礼の観光客が海外からも訪れる有名スポット(オーバーツーリズム)になっています。

投稿者 藤田幸子

写真撮影者 斎藤友起 三苫昭雄 藤田幸子

① 洲崎古戦場跡の碑
② 史跡の碑
③ 由比ヶ浜
④ 旬のワカメを収穫
⑤ 本陣跡に建つ九品寺
⑥ 祇園山ハイキングコース
⑦ 高時腹切りやぐらへ下りる
⑧ 宝戒寺
⑨ 3分咲きの段葛

「行ってきました」一覧表に戻る